どうも、もぐらです。
今回はちょっとした不満をぶちまけていこうと思います。
職場にいるA
僕は今現在派遣社員として、とある会社で派遣業務をしています。
その会社は非常にクローズドな職場で、一緒に作業をする人間は常に変わらず、作業内容も毎日大体同じ、作業場所も固定されている、というような環境です。
そのため、作業を共にするメンバーとは毎日顔を合わせなければいけません。また少人数での作業なので、密度が濃いというか、意識したくなくてもメンバーのそれぞれがそれぞれを意識しあってるみたいな状況。
そんな職場にAという人間がいます。
Aは僕と同じ派遣社員で、年はいくつか上。耳に中学生が付けるようなピアスを付けています。
ただAがヤンキーなのかというと、話してみるとごにょごにょと喋るし、ピアス以外それっぽい恰好はしていないので多分違うと思います。
ちなみに何回か話しかけていますが、いまだに何を言ってるのかちゃんと聞き取れたことはありません。
そんなAなのですが、素行が悪いと言いますか、行動が荒っぽく非常に迷惑しています。
Aの具体的な行動を挙げると、
・ドアをばんっ!と音を立てて閉める
・物を蹴って動かす
・作業が常に手抜き
・目つきが悪い
というような傍若無人さっす。
まぁ、仕事において特段関わり合いがあるわけじゃないため、これらの行動については別に気にしなければ済む話なのですが、僕の中でドアを荒っぽく閉める行動だけは許せません。
なぜかというと、前述したように会社がクローズドな職場なので配置された持ち場から動けないからです。
そのグループで作業をする場所は限られた空間の中(一室)で、僕の定位置はドアがある近くの席。
お分かりでしょうか?
Aがドアを強く閉めることによって一番被害を被っているのが何を隠そう僕ということです。
大きい音がトラウマになる
これね、どれだけ共感してもらえるか分からないんですけど、作業や考え事に集中しているときに大きい音を立てられると、体ってびくってなるんですよ、100%
条件反射的に身の危険を感じて、体が委縮するんです。
働き始めてかれこれ1年近くなりますが、びくってなった回数は数えきれません。作業びくっ、作業びくっ、の繰り返しですよ(苦笑)
ただ最初の方はまだよかったです。「あれ、この人怒っているのか?」って考えられたから。怒っているのなら、たまたまかなとか考えることが出来るし。
でもAは荒っぽい人間なので、そこに怒りはありませんでした。あるのはただただ荒さのみ。
だからAに注意したとしても注意している内容が多分理解できないだろうし、そもそもコミュニケーションが通じる自信がなかったので、イマイチ注意も出来ませんでした。
というか注意するにしても、「ドアを静かに閉めてくれませんか」ともなんか言いづらい。
言いづらくないすか?「ドアをちゃんと閉めましょう」って他人に。「箸をちゃんと持ちましょう」や「人と話すときは目を見て話しましょう」と同じくらい言いづらいことだと思います。当たり前のこと過ぎて。
だから注意も出来ず、とにかく我慢してました。ジレンマを抱えながら。アホらしいですけどね。
そんな環境でしばらく過ごすしていると、完全にトラウマが出来上がります。パブロフの犬状態。
ここでちょっとした豆知識を差し込みますと、人って、2週間嫌なことをされたり味わい続けると、脳に記憶されて長期間忘れられなくなるそうです。ポイントはこの期間を作らないこと。これを超えると、理性では抗いがたいトラウマが出来上がるという寸法っす。
でも僕の場合は1年くらい経っているため、ドアを閉める音だけではなく、大きな音に対して完全に苦手意識が生まれてしまいました。
HSP
元々僕は刺激の強いものが得意な方ではありません。
特に音関係の刺激が苦手で、動画の音量とかも基本小さめにしていますし、大きな声でしゃべりかけてくる人とかダメなタイプ。
他の刺激、例えば光とか味とかはまだ大丈夫なのですが(においには敏感)、人の感情や雑踏の中で受ける刺激にはかなり弱いです。
それを踏まえて、今回の件をきっかけにして色々調べていくと、自分にHSPという特性?があることに気づきました。一応診断みたいなのをやった結果、HSPのほとんどの特徴に当てはまっていました。ほぼ満点
この記事でHSPについて詳しく掘り下げるつもりはないので省略させてもらいますが、刺激に弱い人とかはHSPの可能性があるみたいです。日本人の5人に1人はそうらしいし、そこまで珍しくはないみたい。
そんなHSPですが、自分がそうだと気付けたのはデカいかなと。
怪我の功名じゃないけど、今回の件でそれを知れたのは自分の財産になったような気がします。
知るだけで生きやすくなる
なぜHSPについて話したかというと、知る(自分について理解する)という力の凄さを皆さんに伝えたかったからです。
知っているか知っていないかで生きやすさって変わると思います。
今回の件で言えば、自分の特性を知る前と知った後じゃ取る行動が変わりましたし、ある種吹っ切れたような清々しさすらあります。
知ることで対策を立てやすくなったり、自分のことを俯瞰で見れるようになるからでしょうか。
とにかく、知るか知らないかで物事の捉え方は大きく違ってくるということは間違いないのでしょう。
我慢するだけじゃ解決しない問題がある
僕は自分が刺激に敏感だという特性を知り得たために、刺激に対して、我慢するだけじゃ事態は良くならないということに気づきました。
それまではAに対してこちらもドアを強く閉め返したり、態度で示したりと子供っぽいことも多少してきたものの、相手は変わってくれないわこっちも辛いわで散々でした。
ですが、今は我慢や努力じゃどうにもならないということが分かったので、いくぶんか気が楽です。それに具体的な対処法として、今は耳栓を使って音をシャットダウンしていますし。
もしこれが知る前だったなら、この選択肢は僕の中では出てこなかった。なぜなら我慢すればなんとかなると考えていたから。自分の特性を知ったから取れた行動だと思います。
こんな風に世の中には我慢や努力ではどうにもならないことって色々あるのではないでしょうか。分かりやすいところで言うと、顔が悪いだとか背が低いとか能力が足りないとかね。
ただそれは多分どうやっても変わらないこと。
見ているところが違う気がします。本当に見るところは別にあって、そもそも見ているところが違っているから、問題解決が進まないみたいな。
こんなことっていっぱいあるんでしょうね。分からないですけど。
今回の件を通して、やっぱり自分について知っておくことって非常に大切だなと思いましたね。